ペタコ
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平
ペタコの写真と囀り声
1
ペタコ おっかさんに 白い ぼうし もろた
ペタコ 白いぼうし かぶってる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
2
ペタコ なくときに 白い ぼうし ふった
ペタコ 白いぼうしふってないた
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
3
ペタコ あそぶにも 白い ぼうし かぶる
ペタコ 白いぼうしであそんでる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
附記
「ペタコ」は台湾、琉球南部にしか棲息していない雀より稍大きい小鳥です、「ペタコ」と
言う鳥名は台湾語から来たもので(ペタコ=白い頭)、学名は「シロガシラ」と呼ぶ。
童謡「ペタコ」を作成した経緯については「周明徳」さんの記述に拠ると昭和二年(1927)四月
四日野口雨情は中山晋平、佐藤千枝子(歌手)らと童謡の演奏普及旅行で台湾に来た。
野口雨情伝(金の星社発行)の記述によれば彼は台中神社境内の森でペタコが囀る音を聞
いてこの童謡が出来たと言う。雨情はこの小鳥につき「頭に白い毛がある、雀のように人家近
くへ来て啼く」と説明していた。 台中神社は台中に在り、日本領台当初人口は1500人弱
だったが、明治36年(1903)には台中公園、諸官衙、学校、銀行、会社が相次いで設立され人
口は十倍程に増加し、街区は整然とした新興都市で「小京都」の雅名があった。 台中公園
は台湾の由緒ある公園で明治41年(1908)縦貫鉄道(基隆―高雄間)全通式は閑院宮殿下を迎
えてここで挙行された。台中神社はこの公園の中にあり、大正元年(1912)に竣工、翌年県社
に列せられ、参道の大鳥居は高さ16m強のコンクリート銅版巻きで熱帯樹の森に囲まれた幽静
な環境であった。 この時、南国の春の情緒を味わいつつ境内をそぞろに歩いていた彼は
綺麗な音で囀る日本では見かけない奇妙な格好をした小鳥の群れを目撃した。白色ベビー帽
を被ったようなペタコの群であった可愛らしい小鳥の群れよ!忽然と霊感が湧いた次第でせう。
End
註:台湾縦貫鉄道が開通してその記念式典を台中駅で行った明治41年
(1908年)10月24日、
閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王がその記念とし
植樹した樟樹(クスノキ)がある。